2010年11月29日
住用診療所義援金の報告~野崎先生からのメッセージ
SANO先生のブログより
転記しますm()m
多くの方々から、ご支援をいただいた住用診療所復興義援金の公募は、
11月20日をもって終了となりました。
最終金額は297万9765円
日本全国から温かい真心が積み重なり、ここまで数字を引き上げました。
ご協力して下さった皆様、本当に有り難うございました。
住用診療所は、民営なのですが、スタートは公設であったため、
再出発に関しても行政からの援助を、ある程度は期待できるのかと思います。
しかし、当然損害の全ては賄えないので、この度、ご支援いただいた義援金は、
大切に復興の資金として当てさせていただくことになります。
現在も、避難場所となった体育館での診療が続いているのですが、
2~3週間で西仲間の仮設診療所に引っ越しが検討されております。
そこからは、じっくり時間をかけて再出発の準備がなされるようです。
そもそも、元々の診療所は、20年前の水害でも浸水があった建物であり、
立地からの再検討が必要かと思われます。
元々老朽化していた建物が、天井近くまで土砂に浸かった訳で、
衛生面から考えても建物自体の引っ越しが必要になるでしょう。
さて、そうなると、完全に再出発するまでにはかなりの時間を
要すると思いますが、話が進む都度、このブログで状況の報告を
行なって行こうと思います。
この義援金が、どのように使われ、どのように地域の人々を支えるか、
しっかりとレポートさせていただこうと思います。
最後に、野崎先生より、ご支援いただいた皆様へのコメントを
掲載させていただきます。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
このたびは多くの方々よりたくさんの義援金を頂き
こころから感謝もうしあげます。
10月20日、記録的豪雨による災害発生直後から、わだつみ苑の取り残された
入所者と彼らを必死に両手で2時間以上もつかんでいた男性職員の方の
救助のため携帯での連絡(夕方には不通)、救助後は頻回のよってみ停への
往診。その帰りに寄った診療所と自宅の壊滅的な状態。
私は喪失感を感じる間もなく、検死のために真っ暗な中変わり果てた診療所の
中で泥水をかき分け、定規や注射器、針、パッキングされたガーゼなど使えるものがないか探していました。
定期薬を切らした方は翌日からおられ、ともに避難した薬局の波多先生のおか
げで定期薬を3日ずつでしたが処方して渡すことができました。避難時に骨折さ
れた方もおり、臨月の妊婦もいることは孤立した状態でこれからどうなるのか不
安でした。おまけに妻とは往診しているあいだに、はぐれてしまいました。子供
たちは学校に足止めになり学校で避難生活することになりました。私がいないあ
いだ妻は骨折の方の応急処置をしたあと炊き出しに西仲間の公民館から見里の公
民館に薬局の方と行っていたようで一晩会えずに携帯もつながらず心細かったで
す。ところどころでがけ崩れが発生したようで情報もなくただひたすら名瀬の街
へ優先して搬送すべき人は誰か考えねばなりませんでした。透析の方や私が検死
中に産気づいた方、骨折した方などがけ崩れの横の陸路を歩いて行ってもらうこ
ともありました。
10月22日、NTTのおかげで電話設置され、施設入所者の患者受け入れ先に電話を
かけまくりました。医師会にも次週週3日の医師支援要請(私自身も災害モード
になっていなかった)し、保健所長には災害時の保険診療の件で電話をかけまし
た。その日の午前中に日赤の医療チームと医師会病院、徳州会の救急医が
駆けつけてくれました。「とりあえず眠ってください」といわれ仮眠をとりました。そのあいだも妻は避難所を回診してくれていたようです。
救急医の皆さんは初期の対応がすばらしかったです。災害時の戸別訪問、安否
確認や救急判断、患者搬送に関する取り決め、マスコミ対応や早急な職員スタッフ
の健診、インフルエンザ予防接種、義援金等私ひとりではできないことを一挙に
推し進めていただきました。
私はひとりでこの住用町をみているつもりでしたが一人では成し得ないことでした。多くの方々に力を合わせることの大切さをおしえていただきました。その後も開業医の仲間や徳州会、保養院、中央病院、県病院、ICLSの皆さんにもいっぱい協力いただきました。住用町のためには私一人ではなく、みなさんの協力が今後も不可欠なのだと思い知らされました。
あっという間に1ヶ月がたちやや落ち着きがもどりました。診療所の復旧にむけ
てやっと時間を取れるようになりました。公設の診療所なので国保年金課の方に
所手続きをしてもらっております。この1ヶ月間は多くの皆様の善意をこれまでの
人生の中でもっとも濃密に頂いた期間でもありました。
これからは自分だけの住用ではなく皆さんの住用でもあります。皆さんの義援金
を皆さんの住用のため大切に使わせていただきたいと思います。まずはお礼まで
*********************************
野崎 義弘
奄美市住用国民健康保険診療所
amami1@nozaki-y.com
**********************************
ご協力いただいたみなさま
本当にありがとうございました!!!
金額を聞いて本当にびっくりしました・・・
全国から共鳴された医療従事者のかたがた
かなり大きな額も入れてくださりこの短期間でこれだけの金額になったそうです
同じ想いが集まれば
大きな力になる・・・
私は野崎先生との出会いの影響も大きく
今自分にできること
苦手な救急への取り組みも
決意を固めることができました
奄美島民の大切な命の現場に携わる者として・・・
この気持ち忘れず行きたいと思います
転記しますm()m
多くの方々から、ご支援をいただいた住用診療所復興義援金の公募は、
11月20日をもって終了となりました。
最終金額は297万9765円
日本全国から温かい真心が積み重なり、ここまで数字を引き上げました。
ご協力して下さった皆様、本当に有り難うございました。
住用診療所は、民営なのですが、スタートは公設であったため、
再出発に関しても行政からの援助を、ある程度は期待できるのかと思います。
しかし、当然損害の全ては賄えないので、この度、ご支援いただいた義援金は、
大切に復興の資金として当てさせていただくことになります。
現在も、避難場所となった体育館での診療が続いているのですが、
2~3週間で西仲間の仮設診療所に引っ越しが検討されております。
そこからは、じっくり時間をかけて再出発の準備がなされるようです。
そもそも、元々の診療所は、20年前の水害でも浸水があった建物であり、
立地からの再検討が必要かと思われます。
元々老朽化していた建物が、天井近くまで土砂に浸かった訳で、
衛生面から考えても建物自体の引っ越しが必要になるでしょう。
さて、そうなると、完全に再出発するまでにはかなりの時間を
要すると思いますが、話が進む都度、このブログで状況の報告を
行なって行こうと思います。
この義援金が、どのように使われ、どのように地域の人々を支えるか、
しっかりとレポートさせていただこうと思います。
最後に、野崎先生より、ご支援いただいた皆様へのコメントを
掲載させていただきます。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
このたびは多くの方々よりたくさんの義援金を頂き
こころから感謝もうしあげます。
10月20日、記録的豪雨による災害発生直後から、わだつみ苑の取り残された
入所者と彼らを必死に両手で2時間以上もつかんでいた男性職員の方の
救助のため携帯での連絡(夕方には不通)、救助後は頻回のよってみ停への
往診。その帰りに寄った診療所と自宅の壊滅的な状態。
私は喪失感を感じる間もなく、検死のために真っ暗な中変わり果てた診療所の
中で泥水をかき分け、定規や注射器、針、パッキングされたガーゼなど使えるものがないか探していました。
定期薬を切らした方は翌日からおられ、ともに避難した薬局の波多先生のおか
げで定期薬を3日ずつでしたが処方して渡すことができました。避難時に骨折さ
れた方もおり、臨月の妊婦もいることは孤立した状態でこれからどうなるのか不
安でした。おまけに妻とは往診しているあいだに、はぐれてしまいました。子供
たちは学校に足止めになり学校で避難生活することになりました。私がいないあ
いだ妻は骨折の方の応急処置をしたあと炊き出しに西仲間の公民館から見里の公
民館に薬局の方と行っていたようで一晩会えずに携帯もつながらず心細かったで
す。ところどころでがけ崩れが発生したようで情報もなくただひたすら名瀬の街
へ優先して搬送すべき人は誰か考えねばなりませんでした。透析の方や私が検死
中に産気づいた方、骨折した方などがけ崩れの横の陸路を歩いて行ってもらうこ
ともありました。
10月22日、NTTのおかげで電話設置され、施設入所者の患者受け入れ先に電話を
かけまくりました。医師会にも次週週3日の医師支援要請(私自身も災害モード
になっていなかった)し、保健所長には災害時の保険診療の件で電話をかけまし
た。その日の午前中に日赤の医療チームと医師会病院、徳州会の救急医が
駆けつけてくれました。「とりあえず眠ってください」といわれ仮眠をとりました。そのあいだも妻は避難所を回診してくれていたようです。
救急医の皆さんは初期の対応がすばらしかったです。災害時の戸別訪問、安否
確認や救急判断、患者搬送に関する取り決め、マスコミ対応や早急な職員スタッフ
の健診、インフルエンザ予防接種、義援金等私ひとりではできないことを一挙に
推し進めていただきました。
私はひとりでこの住用町をみているつもりでしたが一人では成し得ないことでした。多くの方々に力を合わせることの大切さをおしえていただきました。その後も開業医の仲間や徳州会、保養院、中央病院、県病院、ICLSの皆さんにもいっぱい協力いただきました。住用町のためには私一人ではなく、みなさんの協力が今後も不可欠なのだと思い知らされました。
あっという間に1ヶ月がたちやや落ち着きがもどりました。診療所の復旧にむけ
てやっと時間を取れるようになりました。公設の診療所なので国保年金課の方に
所手続きをしてもらっております。この1ヶ月間は多くの皆様の善意をこれまでの
人生の中でもっとも濃密に頂いた期間でもありました。
これからは自分だけの住用ではなく皆さんの住用でもあります。皆さんの義援金
を皆さんの住用のため大切に使わせていただきたいと思います。まずはお礼まで
*********************************
野崎 義弘
奄美市住用国民健康保険診療所
amami1@nozaki-y.com
**********************************
ご協力いただいたみなさま
本当にありがとうございました!!!
金額を聞いて本当にびっくりしました・・・
全国から共鳴された医療従事者のかたがた
かなり大きな額も入れてくださりこの短期間でこれだけの金額になったそうです
同じ想いが集まれば
大きな力になる・・・
私は野崎先生との出会いの影響も大きく
今自分にできること
苦手な救急への取り組みも
決意を固めることができました
奄美島民の大切な命の現場に携わる者として・・・
この気持ち忘れず行きたいと思います
Posted by 奄美加 at 14:54│Comments(3)
│災害
この記事へのコメント
お礼のメール確認しました(^-^)
少しでもお役に立ててうれしいです!
昨日の夕方、約3週間ぶりに三重から沖縄へ帰ってきました。土・日もばたばたして結局どこも行けなかったですが・・・。
沖縄はやっぱ、あったかいです(^-^)
少しでもお役に立ててうれしいです!
昨日の夕方、約3週間ぶりに三重から沖縄へ帰ってきました。土・日もばたばたして結局どこも行けなかったですが・・・。
沖縄はやっぱ、あったかいです(^-^)
Posted by キムチェンコ at 2010年12月12日 12:16
>キムチェンコさん
ご協力ありがとうございました\^o^/
そして
おかえりなさい
沖縄は
私にとって救急の原点となりました
忘れられない出会い・・・これから頑張れそうです
沖縄はあったかいですね
ご協力ありがとうございました\^o^/
そして
おかえりなさい
沖縄は
私にとって救急の原点となりました
忘れられない出会い・・・これから頑張れそうです
沖縄はあったかいですね
Posted by 奄美加 at 2010年12月12日 14:03
人も気候も暖かいですo(^-^)o
1月からの研修頑張って下さい!
しかし無理は長続きしませんので息抜きしながらヨーリヨーリと
1月からの研修頑張って下さい!
しかし無理は長続きしませんので息抜きしながらヨーリヨーリと
Posted by キムチェンコ at 2010年12月12日 14:57